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【Episode ♯3】














  X'masプレゼント

          ―後編―











   人間は真実を見なければならない
      なぜなら真実は人間を見ているからだ


外が隣のビル壁で遮られた窓の上に、吊り掛けられた横長の大きな額。
誰かの手書きだろうか、あまり達筆とは言えないが、力強い毛筆で
書かれ、殺風景な部屋の中にあって一際目立っていた。

縦横の壁に備え付けられたアルミ製の大きい本棚には、分厚い本が
ぎっしり整然と並び、応接室とは言え法律事務所たる威厳というのか、
圧迫されそうな独特の空気さえ感じる。
その、あまり広くない部屋の隅の方には、重厚感のある黒木を使った、
小さい長方形のテーブルと、光沢のある黒いソファーが向かい合っていた。

 『どうぞ』

ソファーに座って落ち着かないでいると、事務の人らしい制服の女性が、
お盆にのせてきた芳ばしい香りを、静かにテーブルの上に置く。

 『お砂糖は一つでよろしいですか?』

 『ぁ、はい。どうかお構いなく…』

私の受け答えに無言で一礼すると、その女性は忙しそうに
部屋を出て行った。


 『はぁ…』

ため息が出る。
思いがけず佐竹に呼び止められ、この部屋に通されたのはいいのだが、
今、自分がここにいるのが妙な感じなのは、まだ何一つ疑問が解けて
いないからだろう。

「よかったら、お茶を飲んでいかれませんか?」
私の名を呼び、そう言って引き止めてくれた佐竹だったが、
まだ彼が‘彼’であるかどうかさえ分からないのだ。
ただ、限りなく‘彼本人’である可能性は高いと思うのだが、
やっぱり、どこか違和感がある。

あの佐竹という男性は、職業柄もあってか、振舞いが堂々としていて、
表情にも、自信に満ち溢れた余裕を感じた。
第一印象という、ほんの数分だけの接触から感覚的に捉えた
インスピレーションではあるが、私が今まで、メールや
詩から感じていた彼のイメージとは全く正反対の人物だった。

でも、会った事もないのに私の名前を知っていて。
佐竹という名前も一致していて。
やっぱり‘彼’なのだろうか。あれがリアル世界の彼なのだろうか…


 『それ、東川先生がご自分で書かれたんですよ』

ボーっとしている所へ、私があの額を眺めていたと思ったのか、
部屋に入ってくるなり、佐竹は言った。

 『ウィンストン=チャーチル。正しくは、ウィンストン・レナード・
  スペンサー=チャーチル。イギリスの政治家だった彼の言葉です。
  あ、すみませんお待たせしてしまって。どうぞコーヒー冷めないうちに』

私の向かい、窓際のソファーに腰かけ、佐竹が続ける。

 『先生は元々、あまり政治家自体が好きな方ではないんですが、
  このチャーチルだけは尊敬してましてね。何でも学校の成績が
  酷く悪かったのに首相にまで上り詰め、果てにはノーベル文学賞
  まで受賞してしまった兵(つわもの)らしいですから。
  先生は学生時代から…  』

耳に心地いい低い声。落ち着いた話し方。
佐竹は、初対面同士の気恥ずかしさを感じさせる間もなく、ゆっくり、
しかしテンポよく、一通りその歴史上の人物の説明を終えると、
急に立ち上がるや否や、開けていた背広のボタンをかけ、内ポケットから
名刺入れを取り出した。

 『まだ、きちんとご挨拶してなかったですね。申し遅れました、
  弁護士の佐竹と申します』

その改まった様子に、私も思わず立ち上がり、差し出された名刺を
受け取る。厚手で和紙調の立派なその名刺には、あの荷物の送り状に、
そして、検索結果にも出ていた【佐竹直久】という文字が、縦書きで
しっかりと印刷されていた。 

ネームプレートの苗字だけでなく、フルネームを確認できた私は、
待ちきれず、さっきより確信を持って訊いてみた。

 『あの… 失礼ですけど、やっぱりあなたでしょ?
  いつもメールをくれてたClossさんは、あなたなんでしょ?
  私、ごめんなさい、突然押しかけてきちゃったから…』

 『いえ…』

佐竹は、立ったまま話を切り出した私に、ソファーに掛けるように促すと、
自分も腰を下ろし、

 『僕は仕事以外では、誰ともメールのやり取りをしませんし、
  その、クロスという名前にも心当たりがないのです』

と、キッパリと言った。

 『だって、あの揺りかごを送って下さったのは、あなたですよね?』

 『それは…』

いささか苛立ちを含んだ私の追及に佐竹は、さっきまでの流暢な
話し振りから一変し、返事を濁したまま、何か考えるように視線を落とした。

やっぱり、ここへ来るべきではなかったのかもしれない。
浅はかにも、自分にさよならを告げた人に未練がましく会いに来るなんて、
まるで嫌な女のすることだ。現に彼をこんなに困らせてしまって。。

でも、どうしてこの状況においても正直に認めてくれないのだろうか。
あくまでもシラを切るつもりなら、さっき、なぜ呼び止めたりしたのか。
あのまま立ち去っていたら、単なる私の勘違いで済んだのに。。


 『確かに。あの揺りかごを送ったのは僕です』

暫くの間、思いつめたような顔で黙りこくっていた佐竹が、重そうに口を開いた。

 『いつか、あなたがここへ訪ねてくるだろうということは分かっていました。
  そして、全てをお話しなくてはならないだろうということも…』

 『どういうことなんですか?』

こちらを真っ直ぐに見つめるその深刻な顔つきに、
私は膝の上に置いた手を握り締めた。

 『あなたがメールのやり取りをしていた相手というのは、
  僕の友人の、十文字聖史という奴だと思います』

 『十文字。。きよし? その方がClossさんということですか?』

 『ええ、恐らく。彼のネット上での名前を僕は知らなかったのですが、
  あの揺りかごを作ったのも彼ですし、あなたに届けるように頼まれた
  のも事実ですから、間違いないと思います』

十文字という新たな男性の名前に、張り詰めていた糸が切れる。
やはり現実とはこういうものなのだろう。
運命的かと思われた出逢いは、決してそうではなく、わりと好印象だった
この佐竹という男性は‘彼’ではなかったのだ。

 『そうですか。。 すみません早とちりをして』

 『いいえ、僕の方こそ何の説明もなく送りつけてしまって
  申し訳なく思っています。ただ、それが彼の望みだったものですから…』

 『彼の望み?』

 『はい。自分のことは一切あなたに言わないでくれと…』

佐竹はそこまで言うと、一度大きく息を吐き、テーブルの辺りで視線を
泳がせながら、自分に言い聞かせるように話し始めた。

 『しかし僕は、あなたには本当のことを知って欲しいと思った。
  いつか何かの形で知って誤解されるより、早い時期に、真実を
  知っておいて欲しいと思った。 それが僕に出来る十文字への、
  せめてもの償いと、自分自身のケジメ。そして何より、このままじゃ、
  あいつは浮かばれないと…』

 『ぁ、あの。。浮かばれないって、どういう…』

 『昨年の12月25日正午。十文字聖史、現住建造物等放火罪
  及び強盗致死罪の適用により極刑。享年34歳でした…』

 『な……』

佐竹の言った言葉の意味がよく理解できなかった。いや、聞きなれない
言葉とは言え、その意味は分かったのだが。ただ、あまりにも
唐突で突飛で頭が真っ白になってしまったのだ。
私は、その信じられない内容の話に、ただ唖然とした。

 『うそ。。 うそよ。そんなの嘘よ…』

 『驚かれるのも無理ないです。僕もまさか、身近な人間が
  こんな形で最期を遂げるなんて思ってもみなかった…』

ショックだった。
彼が死んで、もうこの世にいないということよりも、そんな極刑に処される
ほどの凶悪犯罪者と、今までメールのやり取りをしていたのかと。
そして、自分はずっと騙されていたのだろうかと。。

佐竹は顔を上げると、言葉を失った私の目を見つめて言った。

 『でも、阿部さん。あいつは人を殺せるような人間じゃない。
  あいつは無実なんです。本当は無実だったんですよ!』

 『無実? じゃぁ、どうして捕まったんですか!
  どうして死刑になんかなるんですか!』

もう、頭の中が混乱して、訳が分からなくなった。
突き付けられた非日常的な事実。受け入れるとか受け入れないとか、
そんな単純な選択肢では、到底片がつく話ではない。

 『私、もう何も信じられない! あなたの言うことだって信じない!』

少しずつ築き上げてきたはずだった信頼関係が。これまで描いていた
彼に対する淡い思いが。その全てが、一気に音を立てて崩れてゆく。
例えようのない悲しさの爆発は、ぶつけ所のない激しい怒りを誘発し、
強い憎しみのようなものが沸々と湧き上がってきた。

顔も知らない、会ったこともない人に、勝手な期待をかけた私も
いけなかったんだわ。ネット世界なんて、本性を隠していくらでも他人を
欺けるのよ。そんなの最初から分かってたことなに、悔しい。悔しい…!


 『阿部さん…』

嗚咽する私の気が落ち着くのを待っていたのか、
暫くの間、押し黙っていた佐竹が静かに口を開いた。

 『これからする話は、僕の独り言です。聞いても聞かなくても
  構いませんし、また、信じるも信じないも、あなたの自由です。
  でも、どうか僕の話が終わるまで、ここに居てください。お願いします』

佐竹はそう言うと、おもむろに立ち上がり、窓辺から路地を
見下ろすようにしながら、ぽつりぽつりと語り始めた。。

 『僕が司法試験に合格したのは、今から6年前のことでした。
  弁護士になるのは、ずっと夢だったんです。でも現実は厳しくて…
  同級生たちが皆、職場で責任ある立場になったり、安定した収入を
  得ている中、万年学生のような自分が情けなくなって、何度も挫折
  しそうになりました。今年が最後だと腹を決めて臨んだ7回目の受験で、
  ついに合格通知を手にした時は、それはもう飛び上がって喜びました。
  あの時の達成感は、今でも忘れられません。 それで、当時、
  予備校の講師の紹介で、今の東川先生の事務所に弁護士の
  見習いとして就職したのですが、丁度その年の冬でした、
  あの事件が起こったのは ――――――――― 』
  

6年前の12月13日、深夜。
郊外の、とある金融会社社長の自宅兼オフィスビルから火の手が上がった。
焼け跡からは、一人のガードマンと一家四人の焼死体が発見され、
金庫にあった現金約3千8百万円と、預金通帳が無くなっていた。
警察は、事件後、行方が分からなくなっていたもう一人の当直ガードマン、
十文字聖史を、強盗殺人の容疑で全国に緊急指名手配し、
2日後の12月15日、富士樹海付近で車の自損事故を起こした男を
十文字本人と確認、逮捕に至った。

 『弁護依頼で指名が来た時は、びっくりしました。まさか、あの
  十文字がそんな恐ろしいことを仕出かすなんて、信じられなかった…』

佐竹は、中学時代の友人だということもあり、その、初の大型刑事事件を
引き受けることにした。 当初、事件について十文字は、全く身に覚えがなく、
自分は無実だと主張したが、車のトランク内で発見された札束など、
物的、状況的証拠共に、非の打ち所がないほど彼に不利なもの
ばかりで、佐竹は頭を悩ませていた。

唯一、動機が不十分な点が検察側との争点になっていたのだが、
一審が終わった後から、どういう訳か十文字は尋問に対し、ほとんど
全てにおいて黙秘を続けるようになり、また、味方であるはずの佐竹の
反対尋問にすら、明確に答えようとせず、罪状が次々と物理的に
立証されていく中、裁判は終始、検察側優勢のまま進行していった。

やがて、こちら側に有利な証拠が全くないまま、審理の舞台は
最高裁へと移った。もはや、十文字の重罪は確定で、いかにそれを
軽くするかが、佐竹の、弁護士としての使命になっていたのだが、
裁判長は、「全てに黙秘する被告の態度には、反省の意思もなく
一片の情状酌量の余地もない」と添え、極刑の判決を下した。

 『完全な敗北でした。周りからも勝算のない裁判だったと慰められは
  しましたが、僕にもっと技量があれば、あるいは極刑は免れたかも
  しれない。裁判は無惨な結果に終わりましたが、僕はその後も、
  仕事ではなく友人として月に一度、彼の面会に行っていました』

死刑が確定した十文字は、服役すれば出所が望める刑務所ではなく、
拘置所で、ただひたすら静かに時が来るのを待つ身となった。

 『毎日、独居房で一人っきり、何もしなくていいんですよ受刑者は。
  とにかくずーっと、一人で刑の執行を待つんです。いつお呼びが
  かかるか分からない恐怖に怯えながら…』

人間にとって最も辛いのは‘孤独と暇’なのだろう。
受刑者は多くの場合、請願作業と言って、自ら作業を行うことを
切に希望するのだという。十文字も同じように、請願作業として、
木工関係の仕事を希望し、毎日、刑務所の囚人たちと共に
作業をするようになっていた。
  
 『昔から手先が器用で、工作が好きな奴でしたから、
  作業は彼にとって‘生きがい’になったと思います。何よりも、
  全てを忘れて没頭できる、大切な時間だったに違いないです』

元々が真面目な十文字は、そこで日々黙々と作業をし、翌々年には
模範囚として表彰されるまでになった。更に、その年に申請した願書が、
制限付きではあったが二年後になって承認され、午後6時から7時までの
一時間、看守の監視の下、パソコンの貸し出しを許可され、なんと、
インターネットまでさせてもらえるようになった。

 『もちろん例外とは言え、通常ならありえないことでした。しかし近年、
  受刑者の人権保護に関する法律を見直さなければならない事件が
  ありましたね。その流れから、昨年の六月には〔刑事施設受刑者
  処遇法〕が施行されるまでになり、受刑者が新聞を購読できるように
  なるなど、外部の情報を知る手段が確保されることになったんですよ。
  彼の実直さに加え、時期的にも本当にラッキーだった』

十文字は、限られた時間の中で、毎日少しずつ自分のホームページを
作り、そこに思いのたけをぶつけるように詩を書き綴るようになった。

 『あの頃からでしょうか。彼の顔が少し明るくなったような気がしたのは。
  元々、大手IT企業の幹部クラスだった男ですから、パソコンの前に
  座ると落ち着くというのもあったのかもしれませんが、今思えば、あなたと
  メールのやり取りをするようになったからだったんですね…
  M&Aによって入れ替わった、新しい上層部との折り合いが悪く、そこを
  リストラされて警備会社に入ったのが、運命の分かれ道という訳です』

それから、十文字は会うごとに口数も増え、時折、笑顔も見せるように
なっていった。

そして、事件から丸六年が経とうとしていた昨年12月のある日、
いつものように佐竹が面会に行くと、十文字は少し神妙な顔つきで、
「今日はお前に話があるんだ」と言った…

            ◇
            ◇
            ◇
 『なぁ、佐竹。もう判決から五年が経った。お前は弁護士だから
  分かってると思うけど、もうそろそろ、刑の執行が近づいてると思う』

 『ああ… でも過去のデータからすると、確定から執行まで、平均で
  7年7ヶ月だ。まだまだ先のようにも思うがな』

 『いや。たぶんもうすぐだよ。恐らく今年中… 分かるんだ僕には。
  感じるんだ、時期が近いことを。だから、その前に話しておこうと
  思ってな』

いつもの、狭くてあまり明るくない面会室。
ガラス壁の向こうで、彼は静かに話を進めた。
  
 『お前はいつも僕に会いに来てくれる。それは、もしかしたら
  僕の刑に対して、弁護士としての責任を感じているから
  かもしれないが、まぁ、何れにしても有り難いことだよ。感謝してる。
  だが、僕がこうなることは、実は最初から分かっていたことなんんだ。
  だから佐竹。お前は、ちっとも負い目を感じることはないんだよ』

 『十文字…』

 『そんな顔しないでくれ。これが僕の運命なんだよ。最近になって、
  やっと素直に受け入れられるようになった。今頃になってな…
  今となっては、きっとお前も、僕があの事件の真犯人だと思って
  いるだろう。何せ、どこを叩いたって僕がやったとしか判断できない
  証拠ばかりだったしな。そして僕もそれを認めたようなものだったから』

 『僕は君を信じていたよ、ずっとな。だが、君は途中から
  何も言わなくなった。僕にすらだ。裁判における黙秘は、実質上、
  自白とみなされるという僕の忠告にも、君は耳を貸さなかった』

 『お前には申し訳なかったと思ってるよ。こちらから頼んでいながら、
  ちっとも協力的じゃなかった。でも、あれは僕がやったんじゃない。
  僕は無実だ。ただ… いくら足掻いても無駄だってことに
  気付いたんだよ』

 『無駄って…』

 『きっと誰も信じてはくれないだろう。
  だから、お前にだけ話す。本当のことを ――――――――』



その日、十文字は体調不良で、夜勤の定時に遅れて出勤した。
宿直室に荷物を置き、管理室に行くと、同僚の姿はなく、
事務所の鍵も持ち出されていたことから、見回りに行ったのだろうと思い、
動かずに待つことにした。

暫くすると、2階で大きな物音がした。
2階は事務所と自宅の連絡通路があり、家人だけが出入りできるように
なっているのだが、見ると、パネルのランプがセキュリティー解除を示す
赤になっている。不審に思った十文字は、急いで二階へと向かった。
しかし途中、階段の踊り場で、同僚が血塗れで倒れているのを発見。
既に息はなく、慌てた十文字は警察に連絡を取るべく、管理室に
戻ろうとした。すると、背後から誰かに呼び止められた。

「ちきしょう、まだ居やがったのか」
そう言って近づいてくる男の顔を見ると、それは何と、この家の長男だった。
十文字はすぐに逃げようとしたが、腕をつかまれ羽交い絞めにされてしまった。
長男は、「もう何人やったって同じことだ。俺には金が要るんだよ!」と叫び、
サバイバルナイフを振りかざした―――――――

 『ちょっと待て十文字。それは本当なのか?あれは社長の息子が
  やったってのか? なぜそれを法廷で言わなかった! なぜ僕に
  言わなかった!』

 『佐竹。まだ続きがあるんだ。この先を聞いても、まだ僕に
  そう言えるかどうか… 』

既に血の色に染まったナイフを目前に、もう殺されると思ったその時。
二階の方から、突然青白い稲妻のような光が現れ、その電光石火が
ナイフを目掛けるようにして空中を走った。

もの凄い衝撃と共に壁に打ちつけられると、十文字の目の前で、
弾かれ舞い上がったナイフが、青白い光を帯びた十字架のような
短剣に姿を変え、矢を射ったような勢いで長男の左胸に突き刺さった。
強く身体を打った十文字は、その異様な光景を目の当たりにしながらも、
そのまま気を失ってしまった。 そして。。

 『朦朧とした意識の中で、誰かが僕の名を呼んでいるんだ』

目を開けると、階段の最上段に誰かが立っていた。
その、後ろの眩い光で逆光になった黒い影は、翼のようなものを
ゆっくりと羽ばたかせながら、離れているはずなのに耳元で、こう囁いた。
「選ばれし者よ。この世は再生の時を迎えた。神が与えたもうた
 その命をして、全てを背負い、罪の赦し(ゆるし)を得られんことを」

気がつくと、辺りは炎に包まれていた。
その美しくも不気味な青白い炎は、事件の痕跡全てを消し去るように、
全てを焼き尽くすように、静かに激しく燃え盛っていた。。

 『それから僕は、怖くなって逃げ出した。
  とにかく、この場から離れたくて、必死に車を走らせたんだ』

どこをどう走ったのか憶えていない。
何かに追われているような気がした。
何かが襲い掛かってくるような気がした。
十文字は、一晩中一睡もせず、ただ無我夢中で車を走らせた。

 『あの時、生まれて初めて死にたいと思った。皆が僕を恨んでいるような
  気がしたんだ。物凄い殺気を感じたんだ。五人や十人じゃない。
  数え切れないくらい大勢の人たちが、一斉に僕を、僕を…!』

正体不明の恐怖から逃れるべく、自ら命を絶とうと死に場所を求め
さ迷っていると、目の前に突然、あの翼を持った黒い人影が現れた。
咄嗟に急ブレーキを踏み、車が止まると同時に、十文字は泥のように
深い眠りについた―――――――



 『これが全てだよ。偽りのない真実さ』

 『十文字… 悪いが、そんなことが現実に起こりえるとは思えない。
  つまり君は、その長男の罪を被っているということになるが、
  なぜその必要があったのかも理解しがたい。話の中の状況自体、
  現場検証の結果と矛盾する点があるしな…』

 『ああ。だから言わなかった。恐らく精神鑑定を受けろと
  言われるのがオチだったろう。だが、全部本当のことだ。
  それにな、僕は別にあの長男をかばっている訳じゃない』

 『じゃぁ、一体何だ。その話だと、君は本来、長男に刺し殺される
  ところを神様に助けられたんだろ?だったら、なぜ、その命を
  わざわざ無駄にするようなことを、自らしなくちゃいけないんだ?
  なぜ、真実を隠して君が死刑にならなきゃいけないんだよ!』 
    
 『佐竹。最初に言ったろう。いくら足掻いても無駄なんだよ。
  今の僕は、生かされてるんだ。つまりは自分の意志で生死を
  決められないんだよ。現に僕が自ら命を絶とうと思った時、
  それを阻止しようとする力が働いた。僕に残された道はただ一つ。
  公の前で、公然と罪を償う姿を晒すこと…』

 『晒すこと…?』

 『これを見てくれ』

十文字はそう言うと、ガラス壁にゆっくりと両手を押し付けた。

 『こ、これは…』

 『同じようなものが、両足にもある。事件の後から少しずつ
  現れてきたんだ。最初は気にもしてなかったんだが、そう、
  一審が終わった後には、もう大分クッキリとしてきててな』

ガラス越しの手の平。
十文字の、男性にしてはしなやかな、いかにも器用そうな長い指が
並んだ白い掌。その中央に、赤黒い大きなアザのようなものが、
痛々しいほどに腫れ上がっていた。それはあたかも、何か太い
釘のようなものを打ち込まれて出来た、古い傷跡のようにも見えた。。

 『これで、あの黒い影が言っていた意味が分かったんだよ。
  長男がどうこう言う話じゃないんだ。拘留中に読んだ聖書に、
  同じようなことが書いてあったんだが、この世に存在する全ての罪を
  背負って、神に赦しを得る…。きっと今、世界が再び、そういう時期に
  きているんじゃないかと思う。そして恐らく僕は、それに選ばれた… 
  そう。十字架の刑にな…』

 『そんな… そんなのおかしいじゃないか! いいかい十文字。
  もしもその話が本当だとしてもだ、なぜ君が!なぜ何の罪もない君が、
  そんなものを背負わされるんだよ!納得いかないじゃないか!!』

 『佐竹。 僕たち人間はきっと、生きているだけで、気が付かないうちに
  色んな罪を犯しているんだと思う。でも表に出て裁かれるのは、ほんの
  氷山の一角…いや、砂粒程度にしか過ぎなくて。それで、表面化しない
  小さな罪は、長い年月の間に無限に積み重なり、やがて飽和状態
  になるんじゃないかと思うんだ。そして、その見えない重みが人間を
  押し潰しているような気がしてならないんだよ。だから、その苦しさから
  逃れようと人はまた罪を犯す…

  だって、最近の世の中は狂ってるじゃないか。
  ごく普通の人が、信じられないような事件を起こし、その動機の
  ほとんどが衝動的だ。犯罪だけじゃない。現代病と言われる
  ストレスによる病人の数も、異常気象による天災だって、この数年で
  どんどん加速してると思わないか。既に人間の身体や、地球そのもの
  にまで影響が出ている…そんな気がするんだ。もう限界を超えてるんだよ、
  きっと。神様でさえ処理できないほどに世の中は咎(とが)の渦に巻かれ、
  淀みきっているんだ。人の心を、時間を空間を、どんどん蝕んでいるんだ…』

 『確かにそうかもしれないが、現実に君は死ぬんだぞ?
  誰にも真実を理解されず、世の中から凶悪犯罪者のレッテルを
  貼られたまま、憎まれながら死ぬんだぞ?
  それでいいのか? 本当にそれでいいのかよ!』

 『僕は… 僕はもう疲れたんだよ佐竹。あの事件以来、朝から晩まで
  色んな声が聞こえるようになったんだ。悲痛な叫び、罵るような声、
  泣きすがるような声、切願する言葉… 時には激しい痛みさえ感じる。
  最初の頃は、自分の気持ちを落ち着かせることで、大人しくなってた
  んだが、もう耐え切れないよ。早く楽になりたいんだ…』

 『十文字…』


それから、面会時間残り5分を知らせるベルが鳴るまで、沈黙が続いた。
お互い目を合わせることもせず、まるでガラス壁の厚みが増したかのような
静けさが、面会室の無機質な空気を一層、しんとさせた。
少しして、十文字が先に口を開いた。

 『やっぱり、お前に弁護を頼んでよかったよ。お前にだけは、
  本当のことを分かってもらいたかったんだ。 ありがとう、佐竹』

十文字の、口元に浮べた笑みが胸を詰まらせる。

 『僕に、僕に何か出来ることはないのか』

 『ああ。一つだけ頼みがある。今、作業場を借りて作っている
  物があるんだが、何としても、クリスマスに間に合わせるつもりでいる。
  完成したらそれを、ある人の所まで届けて欲しいんだ』

 『そうか、分かった。 誰なんだ、その人は』

 『僕の…… 僕の大切な家族になる人だよ ―――――――――』
  
            ◇
            ◇
            ◇


 『それが、十文字との最後の面会になりました。
  やはり彼には、自分の旅立つ日が分かっていたようです。
  予定通り、クリスマスイヴ前日に、彼から事務所に荷物が
  送られてきたので、僕は言われたとおり、そのまま送り状だけを
  貼り替え、あなた宛にそれを送った…』

佐竹は窓から離れ、あの大きな額の前に立つと、一度大きく
溜め息をつき、その文字を読み上げた。
   
   人間は真実を見なければならない
      なぜなら真実は人間を見ているからだ


 『彼は、世の中の真実の姿を見たんだと思います。
  誰もが気付かない、いや、気付かない振りをしている、
  恐ろしい現実の姿を…』

そして、私の方に向き直ると、充血した目に力を込めながら、

 『僕は曲りなりにも法を学んだ人間ですが、真実とは、決して
  法の中にあるのではなく、人の心にあるのだと信じたいです』
 
と言って、私に深く頭を下げた ――――――――――






久々に開く、ブログのページ。
最終更新日が、まだ去年のままだ。
実際、あれからまだ一ヶ月も経っていないけど。
何だか、随分と懐かしく感じるのは、すっかり生活のパターンが
変わってしまったからだろうか。

あの後、事務所を出る時には、もうすっかり日が傾いていた。
約束の時間に少し遅れて、聖也を迎えに行くと、園長先生が
「とってもいい子にしてましたよ」と笑ってくれたので、ホッとした。

家に帰ってからも、今日の話のことを、あれこれ考えて
しまうんじゃないかと思ったが、幸せそうにおっぱいを飲む
この子の顔を見ていたら、何だか安心してしまって、
気が落ち着いていくのが不思議だった。

今まで夜はいつも、抱っこで寝かしつけては布団に置くと泣き出す、
を繰り返し、ほとほと困っていたのだが、こうして、この揺りかごに乗せると、
不思議にいい子でいてくれることが分かった。これなら、少しは
パソコンをやる時間ができるだろうか。

こんなに気持ちよさそうな顔して。まるで、特等席ね。。


 『聖也…』

コタツの横、特等席ですやすや眠る、
愛らしい寝顔に語りかける。

 『ママ、頑張るからね』

今日は全然、仕事探しはできなかったけど。
明日から、ちゃんとしなくちゃ。。

この子がいるから。
私は母親なんだから。


 『聖也…』

あなたが生まれた日。
あの日は、本当に静かな夜で。
事件も事故も何にもなかったんだって。

きっと、みんなの心が、すーっと軽くなって、
誰もがやさしくなれたから、かもしれないね。


 『聖也…』

あなたが、これから生きていく、この世界はね。
神様の力でも、ほんの一瞬しか静まらないくらい
騒がしい世界なの。

でもね。

ママがあなたを守るからね。
どんなことがあっても。どんなことからも。

あなたも、ママを守ってね。
お願いね。。


明日、お爺ちゃん、お婆ちゃんに会いに行こっか。
あなたは、みんなに祝福されるべき人なの。

誰の子だろうと、この世に生を受けて来る子は
世界の明日を担う、真実だと思うから。

そして。

誰の生まれ変わりだろうと、
あなたは私の、真実だから ――――――――――




  素敵なクリスマスプレゼントを ありがとう



             by MARIA





         おわり







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