【Episode ♯3】
X'masプレゼント
―中編―
白い羽。
透き通った海のように澄んだアクア色の空から、
ゆらゆらと静かに、戯れるように舞い降りてくる。
羽はやがて眩い光を放ち、美しいその姿を現した。
小さい頃読んだ絵本の中で見たような、背中の真っ白な翼。
ゆっくりと羽ばたきながら、スーッと静かに舞い降りてくる。
『もうすぐですよ』
離れているはずなのに。耳元でやさしく微笑む。
『あなたは…』
『使いの者です。お知らせにきたのですよ』
なぜだろう。姿も顔もよく見えていないのに。
やさしい表情で私を見ているのが分かる。
『ほら。聞こえてきましたよ。明るい未来をもたらす
命の声が。全てを祝福する歓喜の歌が…』
『命の。。声…?』
この慌しさが命の声なのだろうか。
「しっかりしなさい」「頑張って」
急き立てられるようなこの声が、歓喜の歌?
さっきから煩いほどに響いているこの声が…
「お母さんでしょ」「赤ちゃんも頑張ってるんだから」 って。
そんなに叫ばなくても聞こえてるわよ。
そんな大声出さなくたって…
『先生! 阿部さん気が付きました!』
耐え切れないほどの激痛と共に意識が戻る。
『はい、もう少しよ!頑張って!頭見えてきたからね!!』
歯を食いしばりながら目を開けると、いつも怖い人だと思っていた婦長さんが、
私の手を握って、何度も頷きながら励ましてくれていた。
私。痛みで気が遠くなってたんだ…
もういっその事、あのまま楽になりたかったと悔しがってしまいそうな痛み。
でも、もう少しなんだわ。もうすぐ、もうすぐ…
婦長さんの掛け声に合わせて呼吸を繰り返す。
やがて、気が狂いそうなほどに痛みの限界を感じ、声にならない叫びを
発した瞬間、全身の力が、栓を外した風船のように抜けていった。
『阿部さん、おめでとう! よく頑張ったわね。
元気な男の子よ!』
抱きかかえられた小さな身体。真っ赤な顔をクシャクシャにして泣き喚く。
これが、私の。。
薄らいでゆく意識の中、切なくなるほどに力強い‘命の声’を聞きながら、
私は再び魔法をかけられたように深い眠りについた…
『それじゃぁ、頑張ってね』
『はい。ありがとうございます。お世話になりました』
受付で会計の手続きをすますと、婦長さんが正面玄関まで見送ってくれた。
『何かあったら、いつでも来なさい』
私は、毅然としていながらメガネの奥にある、その優しい瞳に
感謝の気持ちを込め、深く頭を下げると、冷気から守るように
‘宝物’をきつく抱き直し病院をあとにした ―――――――
あの日私は、予定より早い陣痛に焦りながらも、何とか救急車を呼び、
病院に着くとすぐに分娩室に入れられた。運び込まれたのは夜の10時
過ぎだったが、それからの二十時間超に渡る闘いは、今はまだ思い出したくない。
先生曰く「初産だから、この位ではまだ難産とは言わない」ということだったが、
冗談じゃないわよ。男のアンタに何が分かるのよ!なんて噛み付きたいくらいだった。
産まれてからも数日間は、一緒に寝てあげることさえ出来ないほど
衰弱してしまい、生命の誕生というものが、いかに過酷で大変なものなのかを
改めて思い知らされた。
仲良くなったあの若いママさんは、予定通りに入院、出産し、つい昨日
退院していった。入院中にも感じたことだが、彼女の体力回復の早さを
目の当たりに、やっぱりお産と年齢の関係は重要なのだろうと思った。
でも、この子の顔を見ていると、本当に産んで良かったと心から思える。
新生児室に行き、周りの子を見たけど、この子以上に可愛い子なんて
いないと言い切れるくらいに可愛い。もちろん他の誰にも言わないけど。
でも冷静になって、皆が皆、胸の中でそう思っているのかしらと、そして
既に親バカが始まっているのかしらと思ったら、急におかしくなった。
『それでも一番可愛いわよねー?』
胸に抱いたふわふわの‘おくるみ’の中で眠る最愛の我が子に
そう語りかけると、小さな口を目いっぱい大きく開いて、愛らしい
あくびをしていた…
一週間後 ―――――
『すみません、お世話になります。宜しくお願いします』
聖也の泣き喚く声に後ろ髪を引かれながらも、足早に立ち去る。
名前を‘聖也’にしたのは、クリスマスの夜、つまり聖夜に生まれたから
というのは言うまでもない。ベタすぎる気もしたけど、この子が生まれた
あの夜、街が不気味なほど静かだったという話を、あの若いママさんや
看護士さんたちがしていたからというのも、決定理由の一つだ。
あれから私は、生後間もなくでも預かってくれる保育園を探し、
今日になって、やっと手続きまで漕ぎ着けることができた。
年末年始という時期が時期だけに、受け入れを拒む所が多く、
お正月が明けてすぐに入所できたのは、本当にラッキーだった。
もちろん、本当は一秒たりとも離れたくないのだが、食べていくためには
子育てだけに専念する訳にはいかず、時間の自由が利く新しい仕事を
見つけ、一日も早く職に就かなくちゃと、泣く泣く預けることにしたのだ。
私は保育園からの帰り、さっそくコンビニで求人雑誌を買い、アパートに戻ると、
久しぶりにパソコンの電源を入れた。 退院してから今まで、昼夜問わずの
子守りや授乳で全く余裕がなかったのと、あの日以来、開いたまま放置したせいで
バッテリー切れになっていて、コンセントに繋いで充電するのさえ億劫だったという
こともあり、ずっとパソコンから遠ざかっていたのだ。
『さてと。取りあえずは金額より時間の融通がきく仕事かどうかが
優先よね。急いで探さなくちゃ。。 あ!そうだわ』
私は、雑誌とネット上での情報をミックスさせ、今の自分に最適な仕事を
探すべくモニターに噛り付こうとしたが、ふと、この前から気になっていたことを
思い出し、一旦手を止めて、タンスの引き出しから、あの手紙を取り出した。
あの日の夜に突然届いた謎の荷物。
手作りであろう素敵な籐製の揺りかごと一緒に入っていた一通の手紙。
退院してきてから、その手紙の全文を読んだ私は、送り主への疑問が
更に深まっていたのだ。
その手紙には、こう書かれていた。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
メリークリスマス
Dear MARIA
突然の送りつけをお許しください。
住所は、以前仰っていたアパート名を頼りに調べました。
勝手なまねをして申し訳ありません。
マリアさん、今まで本当にありがとうございました。
マリアさんに出逢えて、僕は幸せです。あなたが居なかったら
僕は、ずっと闇の中をさ迷う羊でした。出口のない迷路に
閉じ込められたままでした。
さよならは言いません。お別れじゃないから。
お身体に気をつけて。無事にご出産されることを
心からお祈りしています。
† Closs †
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
そう。あの揺りかごの送り主は、いつもメールをやり取りしていた‘彼’、
Clossさんだった。いや、何となく、そんな気がしていたし、
確かに以前、メールに自分が住んでいる場所のことを書いた記憶も
あるから、クリスマスプレゼントを兼ねた出産祝いだと思えば、謎は
解けたようなものだ。
でも、私が疑問に思ったのは、この手紙の内容の方だった。
「さよならは言いません。お別れじゃないから」なんて。
まるで、去って行く人のセリフにしか聞こえないじゃない。
それから、あの自動返信メールからリンクされていたページにあった詩の意味。
あれだって、何だか思わせぶりで、ずっと気になってたんだから。
急いで職探しをしなくちゃと思いながらも、心に疑問符を浮べたままでは
身が入りそうになく、私は、まず先に彼のホームページを訪ねた。
『あら。あれから全然更新されてないわね。まだ忙しいのかしら』
あの日から全く動きのない真っ黒なページをあとにし、
今度はメールボックスを開く。
『メールも来てない。。どうしちゃったのかしらね』
彼から直接にメールが来なくなって、もう一ヶ月以上になる。
私は、さすがに心配になり、揺りかごのお礼と新年の挨拶を兼ねて、
彼にメールを送ってみた…
少しの間のあと、この前と同じように送信完了と同時に新着メールが届く。
『あら、まただわ』
アドレスの横に見慣れない英数字がくっついている、あのメール。
さっそくそのメールを開いてみると、やはり同じように自動返信であることを
示す文が冒頭にあり、彼が予め書いていたのであろう‘本文’が続いてた…
*****************************
このメールは、自動返信システムによって送信されています。
―――― 本文 ここから ――――
マリアさん。お帰りなさい。
あなたが今このメールを見ているということは、
無事に赤ちゃんが生まれたということでしょう。
おめでとうございます。
僕からのメールが来ないことを心配して下さって、
ありがとうございます。 でも、僕はもうここには居ません。
だから、これが最後のメールになると思います。
心配はしないでください。僕は幸せを見つけたんです。
こうして、あなたが僕のことを思ってくれる。
例え、僕の存在が消えてしまっても、
僕はあなたの心の中にいることができる。
これからもずっと、あなたの優しさに包まれていたい。
あなたの胸に抱かれていたい…
心から、あなたを愛しています。
世界中に幸福が訪れますように
† Closs †
*****************************
『ちょ、ちょっと、何よこれ』
妙に焦っている自分がいた。
これまで築いてきた信頼関係。会ったことも見たこともない人だけど。
自分のことを一番よく分かってくれて、何でも話せる人。
いつも私を頼ってくれて、私も頼っていた人。。
『最後のメールってどういう意味?
もうさよならってことなの? そんな…』
彼がいたから、辛い時だって乗り切って来れた。
彼も同じだと思っていた。私のことを必要としてくれているのだと思っていた。
それなのに。。
『どうしてよ… 愛してるなんて言って、どうして居なくなっちゃうのよ』
何だか泣きたくなる。
最後の最後になって、こんな大事なことを言い残して。
『私、また一人ぼっちになるの?』
いつか会いたいと思っていた。いつか会えると思っていた。
ずっと身重だったから、子供が生まれて、落ち着いて、自分の生活が
確立したら会ってみたい人だった。それまではずっと変わらず、メールで
色んな話をしながら、お互いの仲を深めていける。そう思っていたのに。。
『どうして…』
全世界から自分だけが取り残されたような気持ち。
今まで、こんなにも彼に寄りかかって生きていた自分に気付く。
私は心の中でどこか、彼の気持ちに根拠のない安心感を抱いていた。
きっと彼は私のことを裏切らないだろう、私がその気にさえなれば、
彼はいつでも受け入れてくれるだろう…
私のこと、好きでいてくれたんでしょ?
それなら、なぜ私の気持ちも確かめずに居なくなるの?
どうして、どうして。。!
居たたまれない。
自分勝手な思い込みと、去ってゆく大切な人。
『いやよ。本当はいつも寂しいの。私、全然強くないの。
お願い、私を一人にしないで…』
コタツの横に置いた揺りかごを抱きしめるようにして、しがみつく。
こんな気持ちじゃ、とても職探しなんて出来ない。何だか急に
子育てにも、いや、全てに自信がなくなりそう。。
『Clossさん…』
少し甘いような木の香に、見知らぬ彼の面影を描く。
本当にもう、メールくれないのかしら。会うこともないのかしら。。
『そうだわ』
ふと思い立って、ベランダに出る。
隣の部屋との敷居になっているボード壁に立て掛けておいたそれ。
解体し、紐でまとめてある、揺りかごが入っていた段ボール箱の残骸だ。
リサイクルの資源ゴミとして扱われるため、月に一度しか回収されず
置き場所に困って、取りあえずベランダに出していたその‘固まり’を
解き漁る。
『あったわ、何か分かるかもしれない』
箱のふたになっていた部分に貼りついている送り状を、破けないように
丁寧に剥がす。
【佐竹直久】
送り主の欄に唯一書いてある、彼の最小にして最大の情報。
この名前で検索をしたら、もしかしたら彼のことが出てくるかもしれない。
私は、モニターを歪める目をハンカチで押さえ、気を落ち着かせると、
検索欄にその名前を入力し、僅かな望みを掛け祈るような気持ちで
検索ボタンをクリックした…
『あっ』
以外にも見つけたのは、検索結果の最初のページ上だった。
【東川法律事務所:ホームページ】と書かれたリンクの下に、
太字でハイライト表示された名前。 それ以外には【佐竹】と
【直久】とが連続した文字群で表示された箇所は見当たらず、
実質その一件しかないようだった。
激しく鼓動する胸を制し、震える手でそのリンクをクリックすると、
間もなく表示されたページに、その名前を見つけた。
〔所属弁護士一覧〕と書かれた表の中に、上から3番目にある名前。
『弁護士。。さん?』
私が知っている彼の仕事とは、まるでかけ離れている業種。
全くの別人なのだろうか。でも、ほとんど自分の日常を語らなかった彼なら、
最初から私に素性を隠して接していても、何ら不思議ではない。
何より、あの揺りかごの送り主本人である可能性は極めて高いのだから。
『そうよ。きっと彼だわ』
女の勘。
いや、僅かな望みにしがみつきたかっただけかもしれない。
でも、もう、そこに迷いはなかった。
今まで素性を隠してきたのに、わざわざ実名を使って送ってきたのには
理由があるはず。もしかしたら、これは私に与えられた最後のチャンス
なのかもしれない。彼に会える、最後のチャンスなのかもしれない…
私は、ページに掲載された【東川法律事務所】へのアクセスを確認すると、
財布にお金が入っているのを確かめ、部屋を飛び出した ――――――
いつも利用する駅から一つ先の駅まで行き、地下鉄に乗り換える。
引っ越してきた当初は、複雑に入り組んだ連絡経路に戸惑っていたが、
もう大分慣れてしまった。
地下鉄を3つ乗り継いで降り、アクセスマップの示す‘A4出口’を
抜けると、ビルが密集する裏通りに出た。そこを右に進み幹線道路に
ぶつかったら更に右へ。徒歩7分とあったから少し歩くだろうか。
道なりに歩いていくと目印の郵便局が見え、路地を左に入ると、
立ち並ぶ古い雑居ビル群の一角に【東川法律事務所】の
看板を見つけた。
『ここだわ』
腕時計を見ると、まだお昼前だった。
何も考えず飛び出して来てしまったが、聖也を迎えに行く時間まで
には、かなりの余裕がある。今日はとても職探しは無理だけど、
何しろ、このままの気持ちでは前に進めない。
私は、急いだのと緊張で乱れた呼吸を整えようと、一度目を閉じて
大きく息を吐くと、ビルの自動ドアの前に立った。
空き室らしき一階の部屋を静かに通り過ぎると、通路突き当たりに
アルミ色の扉があった。 その、二人も乗ればかなり圧迫感がありそうな
狭いエレベーターで4階まで上がると、開いた扉のすぐ目の前に、
凹凸のある磨りガラスに金文字で【東川法律事務所】と書かれたドアが現れた。
『はぁ。。どうしよう…』
勢いでここまで来てしまったが、今更ながら躊躇ってしまう。
このドアの向こうに彼がいる。私に「さよなら」を告げた彼がいる。。
いきなり押し掛けて来て、一体どんな顔をして会えばいいのか。
私は何のために、彼に会おうとしているのだろう…
私は彼に何を言おうとしているのだろう…
そもそも、私はここに来て良かったのだろうか…
暫くの間、通路の真ん中で、どっちつかず突っ立ったまま悩みあぐねていると、
後ろでチーンと音がして、エレベーターの扉が開こうとしていた。
咄嗟にその場を離れようと焦った私のスニーカーが、思いがけない強さで
キュッと床をグリップする。
『あっ…』
『おっと。大丈夫ですか?』
つまずきそうになった私の腕を、後ろから支える男の人の声。
『すみません、大丈夫です。ありがとうございま…』
恥かしくて顔も見れずに泳いだ目が、その男性の胸に付けられた
ネームプレートを捉える。
佐竹。。
『ご相談の方ですか? どうぞ中へ』
私より少し若いだろうか、その、長身でガッチリした背広姿の男性は、
にこやかながら凛とした態度で言った。
この人が、この人が。。
『あの… あなたが… Clossさん…?』
ついに会えたのだ。しかも、こんなに早く、すんなりと。
まるで、ドラマによくある運命の出会いのようなシチュエーションに、
思わず口にした名前が震えた。 しかし…
『クロス? ‘黒須’ですか? いえ、私は佐竹です。それに、
ここには、そういう名前の者はおりませんが…』
『そ、そうですか。。すみません、人違いでした』
急に顔がカァーッと赤くなるのが分かった。
この人は彼ではなかったのだ。佐竹直久という同姓同名の別人だったのだ。
軽率な思い込みが招いた完全な勘違い。私は、その場から一刻も早く
立ち去りたくて、エレベーターを待たず、逃げるように階段の方へと駆け出した。
何してるんだろ私。
そんな簡単にいくわけないじゃない。
バカみたい… バカみたい…!
『あ、ちょっと待ってください!』
不意に呼び止められたが、階段を駆け降りる足が止まらない。
とにかく、この場から消えてしまいたい一心で、急いで駆け下りる。
しかし、吹き抜けの非常階段に響く靴音を、尚も追いかけるように
佐竹の声が響いた。
『あの! もしかして。。阿部さんですか!』
えっ?
立ち止まる。
『えっと、阿部。。阿部真理さん…ですか?』
聞き間違いじゃない。確かに今、私の名前を呼んだ。
どうして、その名前を?
私の名前を知っているの?
じゃぁ、あなたはやっぱり。。
立っていられないほどに激しく鼓動する胸。
私は、掴んでいた手すりを強く握り締めると、固まった身体で、
ぎこちなく後ろを振り向いた…
つづく
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