【Episode ♯3】
X'masプレゼント
―前編―
一件の新着メールが届いていた。
〔マリアさん、今日もお疲れ様でした。
身体を冷やさぬよう、暖かくしてお休み下さいね〕
私はメールに目を通し、重いお腹を抱えるようにゆっくり立ち上がると、
キッチンに行き、冷ましておいたホットレモネードを口にした。
『はぁ、おいしい』
適度な熱さになった少し酸っぱめのレモネード。
妊娠中の身体が欲しがるからという訳でなく、私の場合
元々が柑橘系の甘酸っぱさが大好きなだけ。
以前は、お手製のを冷蔵庫に作り置きしておいて、冷たいのを
一気に飲むのが一番好きな飲み方だったけど。
今は冬だし、第一お腹の赤ちゃんが寒い思いをしたら可哀想だから、
最近は専ら、市販の粉末を熱湯で溶くタイプのを、ゆっくり時間を
かけて飲むのが日課。
『さてと。お返事と今日の日記書かなくちゃ』
マグカップ片手に、コタツの前に「よいしょ」と小声を上げて座る。
少し型の古いパソコンのモニターに映し出された、空色の壁紙。
私が二年前から始めたブログのページだ。
‘マリア’は当然だけど、いわゆるハンドルネーム。
理由は何てことはない。本名が‘真理’だし、かっこいいと思ったから。
『えーっと。メールはClossさんからだけだから…
先に日記の更新でいいかしらね』
私は管理画面へとログインすると、今日、病院で知り合った
若いママさんの事を書こうとキーを叩き始めた ―――――――
【光りに向かって】というタイトルのブログ。
それまで全くと言っていいほど機械オンチだった私が、新しいのを買うからと、
弟から御下がり(お上がり?)のパソコンを強引に譲り受けさせられ、
やはり半ば強制的に、ネット接続させられたのが3年前の夏。
最初は、こんな画面だけの世界のどこが面白いのか、家の中に閉じこもって
夜長やってる人たちって、友達いないのかしら?なんて思ってたのに。
キッカケは何だったろうか。
確か、当時はまっていた海外インディーズバンドの日本未発売CDというのが
あるのを雑誌で知り、街中のレンタル店、CDショップを駆けずり回ったが
見つからず、友人からネットオークションなるものを教えられた辺りからだろうか。
それが、今じゃブログなんて流行りのものに手を染めちゃって。
実際、ネットの世界は知れば知るほどに面白く、便利で、まさに
いい大人のする茶飯事だと思うようになった。
ネットをするようになって感じたことは、誰もが皆、日々色々な問題を抱え、
そして悩みながら生きているということ。それまでは元々の私の性格上、
自分から他の誰かに胸の内を話したりすることなんてなかった。 でも、ここでは
不思議と素直になっている自分がいて… 同じように、こうして四角い画面を
見ている誰かに向かって、話を聞いてもらっているような感覚でいる。
現に私が、親の反対を押し切って結婚したにも関わらず、ついこの前
バツイチになり、しかも、これからシングルマザーになるために一人暮らしを
始めた。なんていう込み入った事情は、アパートという同じ敷地内に
居合わせながら、そして幾度となく顔を合わせていたとしても、隣りや、
まして他の階の住人が知っているはずもない。 それなのに、顔も知らない、
会ったこともない、この文字だけで繋がっている彼らは、私の事をよく知って
いるのだから、何だか不思議な気持ちになる。
そう言えば、この世界の奥深さに触れ、更に私がネットに深く深く
はまってしまったキッカケがもう一つあった。
出産を決意し、親と大喧嘩の末、家を飛び出した春の頃、
私のブログに足跡を残した見知らぬ‘彼’がいて。
その足跡を辿り遊びに行った先に、‘彼’のホームページがあった。
【壁の落書き -in my life-】という、詩を書き綴ったホームページ。
ブラックアウトされた背景の右下に、小さな青白い十字架があるだけの
シンプルなレイアウト。 それまで、せいぜいショッピングや他の人のブログを
覗くだけのネットライフを送っていた私には、そのページの醸し出す雰囲気が
新鮮で斬新で、別世界のように感じられたのを憶えている。 そして、そこに
浮き上がるように静かに並んだ青白い文字列が、更に私の興味をそそったのだ。
彼の詩を読んだ時、初めは書いているのは女性だろうと思っていた。
繊細で弱々しく、心の奥底に深い悲しみを持て余しているような詩。
女々しくて、頼りなくて、見ていられないくらいにか弱そうな言葉の集まり…
わりとサバサバした性格の私にとって、それはあまりにも哀れで、思わず掲示板に
元気付ける書き込みをしてしまった。当時、本来なら自分が誰かに元気付けて
もらいたいくらいだったのに。いや、逆に自分より可哀想な相手だと思うことで、
自分が置かれている状況の苦しさを紛らわせようとしていただけかもしれないが。
それからというもの、日々UPされる物悲しい詩を読んでは書き込み、
を繰り返し、彼と直接メールのやりとりをするようになるまで、
そう時間はかからなかった。
日々のメールのやり取りの中で、お互い、自分のことを話すのが
苦手な者同士ながらも、色んな話をするようになり、妙な信頼関係もできた。
とは言っても、きっと男と女の違いなのだろうか、日常の出来事を
報告のように書いてしまう私に対して、彼は専らそれに対する返事と、
その日感じたことを、あくまでも抽象的に、まるで詩の延長のように書き、
自分からは決して日常の出来事を詳しく書くことはなかった。
彼は、住み込みで木工細工の仕事をしていると言っていた。下宿か寮なの
だろう、時間にはとてもシビアで、朝は6時半に起き、夜は9時に消灯。
自由な時間である食後の僅かな時間を、ホームページで詩を書く時間に
当てているのだと言う。私が少しずつ聞き出した、知り得る彼の日常だ。
そんな身の上話もするようになってから、もう半年が経つ。
彼はホームページで相変わらず物悲しい詩を書き続け、私は私で、
ブログには書けないその日の出来事や思いをメールに書いて送っていた…
『よしと。今日の日記終り。Clossさんの所に行こうかな』
日記とコメントのレスを済ますと、時計の針が9時を回っていた。
先に彼のメールに返事をするべきところだが、消灯時間を過ぎているから
彼が返事を見るのは明日だろうと思い、先に彼のホームページを見に
行くことにしたのだ。
ブックマークから飛んでいくと、いつもの静まり返った雰囲気のページに、
今日も新しい詩がUPされていた。
願い
もしも 許されることなら
僕は あの三日月に なりたい
夜毎 あなたを 見つめる あの蒼い星に
もしも 許されることなら
僕は あの三日月に なりたい
夜毎 あなたが 見つめる あの蒼い星に
僕は 月になれるかな なれるのかな
きっと 許しては もらえない
僕には 願うことすら 許されない
きっと
生まれ変わる その時まで・・・
† Closs †
『んー。何処かいつもと違う感じがするわね…』
いつもと違う感じ。
何がと訊かれても、きっと上手く言えないだろう。でも、いつもと何かが違う。
もう半年もの間、彼の詩を見てきた私が言うのだから、その感性に狂いは
ないはず。 いつもは、もっと自虐的で、悲壮感に暮れていて。そこには、
一切の希望も夢も感じられないほど、暗黒の底に沈んでいる感じ。
いや、いつもの彼の詩を知らない人がこれを見れば、申し分なく
十分悲しげであろうが。でも違う。今日の詩は、何かが違った…
その夜、私は夢を見た。
久し振りに見た夢は、淡いながらも暖色系カラーに包まれた、
心地いい空間だった。
一面に咲く色とりどりの花たちが、やわらかい風の中で微笑むように揺れている。
身体が軽い事に気がつくのと同時に、草原の向うに揺り篭がポツンと
置かれているのが見えた。 駆け寄ると、その中には真綿のようなふわふわに
包まれた可愛い可愛い赤ちゃんが、顔を真っ赤にして泣いていた。
赤ちゃんは抱き上げると静かになり、透き通った愛くるしい大きな瞳で
私を見上げていた…
目を覚ますと、お腹の中で、まだ見ぬ我が子が暴れているようだった。
『うふふ。もうここは狭いのね。もうすぐだからね、いい子にしててね』
私は、お腹を摩りながらそう語りかけると、外で響く新聞配達のバイクの音を
遠くの方に聞きながら、もう一度目を閉じた。
『それで、その赤ちゃんは男の子、それとも女の子だったんですか?』
香り立つアンティークのティーカップに、ミルクを注ぎながら
彼女は言った。
『んー。。それがね、よく分からなかったの。
オムツ替えでもすれば、すぐ分かったんだろうけど。ね?』
私が、スプーンでスライスレモンを突付きながらおどけてみせると、
彼女は吹き出すように口に手を当てて、ケラケラと笑った。
駅前にある、紅茶の美味しい喫茶店。
今時のライトでポップな雰囲気ではなく、どちらかと言うと重厚で暗めで
昔ながらのお店。誰かが言った「ずっと昔は同伴喫茶だったのよ」というのも
頷ける、背もたれの高い各テーブル席たち。地下にあることと、静かに、
しかし絶え間なく流れるジャズの調べ、そして店の真ん中にある古臭い
ストーブが、全く勝手ながら当時のイメージを色濃く感じさせた。
『でも、ここすっごい、いいお店ですね。ケーキも美味しいし
食器類もこだわっててお洒落。私、一発で好きになっちゃった』
『気に入ってもらえて良かった。本当は私の隠れ家にしようと
思ってたんだぁ。でも、やっぱり一人で来るより楽しい』
つい昨日、病院で知り合ったばかりの若いママさんとの楽しいひと時。
私のパートは午後からだったし、彼女も都合がいいと言っていたので、
昨日、病院の帰り際にいきなり約束してしまったのだ。
彼女とは予定日が同じということもあってか、初めから妙に気が合って、
珍しく自分のテリトリーにすぐ誘い込んでしまった。
まあ、テリトリーなんて言っても、私自身まだ3、4回しか来ていないのだが。
『それにしても、予定日まであと一ヶ月きったなんて
信じられないですよねー。何かドキドキしちゃうなぁ』
『そうよね。でも、あなた若いから何も心配ないわよ。
ドキドキなのはこのア・タ・シ。体力もつか不安だわ』
『なに言ってるんですか! 私、最初同い年くらいの子かと
思ってたんですよー? 大丈夫です。だって夢にも
出てきたじゃないですか、かわいい赤ちゃん』
『ふふ、ありがとう。同い年くらいだなんて、お世辞でも
嬉しい。ぁーでも。ここは割り勘だからねー?』
やっぱり一人でいるより楽しい。
私たちは、お互いの気が合うことの嬉しさに、これから成し遂げようと
している‘女の偉業’を志す者同士、たわいもない話ながらも
有意義な時間を過ごした。
仕事が終わり帰宅すると、いつものように彼からメールが来ていた。
*****************************
マリアさん。今日もお疲れ様でした。僕は明日から
どうしても期日までに仕上げなきゃいけない作業に
取り掛かるので、暫くメールできないと思います。
時間が限られているので、ホームページも更新できない
と思いますが、ご心配なさらないでくださいね。
もうすぐ予定日ですよね。
お身体に気をつけて。無事にご出産されることを
心からお祈りしています。
† Closs †
*****************************
『あら、お忙しいのね。もう師走だものね』
私は、少し寂しいなと思いながらも、了解の返信をして、
メールボックスを閉じると、今日の楽しかったひと時のことを
書くべくブログを開いた…
それから二週間がアッという間に過ぎ、今年も残すところ一週間となった。
今日は、街中で色鮮やかにイルミネーションがきらめき、誰もかれもが何かに
胸を躍らせ浮き足立つ日。世間はクリスマスイヴという国際的な年中行事で
華やいでいたが、私はと言えば、いよいよ明日、出産準備のために
入院することになり、別の意味で浮き足立っていた。
幸運なことに、ここまではとても順調だったが、何せ人生初にして最大の、
しかも一人身のビッグイベント。覚悟はできているつもりだが、
何だか落ち着かない。
あの若いママさんも、共に明日から同室の入院となり心強くはあったが、
彼女とは違い傍に居てくれる人がいないことの寂しさが、今更ながら
身にしみていた。
『はぁ。。やっぱり今日もメール来てないわね。
忙しいんだもん、仕方ない』
そして、あの日から彼のメールも来ないことで、余計に寂しさが募る。
『そうだ。一応言っておいた方がいいわよね』
今までいつも、相手のメール一件に対して一つの返信というのが、
お互い暗黙のルールだった。既に返信を済ませてしまっていたので、
彼からメールが来ないうちに私から送ることはこれまでもなかったのだが、
私は念のため、明日から暫く家を留守にすることを知らせるメールを彼に送った…
『あら?』
少しの間のあと、送信完了と同時に新着メールが届く。
『Closs…さん?』
その新着メールの送信者は確かに彼のものだったが、アドレスの横に
見慣れない英数字がくっついている。首をかしげながらそのメールを
開くと、そこにはこう書かれていた。
*****************************
このメールは、自動返信システムによって送信されています。
―――― 本文 ここから ――――
祈り
http://closs.poem.jp/bless.html
*****************************
『自動返信システム。。?』
彼が本文を書く所であろうその欄には、たった一言「祈り」、そして
その下に、URLが貼り付けてあるだけだった。 不可解なメール内容に
尚も首をかしげつつ、そのURLをクリックすると、別窓でリンクが開く。
『えっ、真っ白。。?』
見覚えのあるURL。そう、いつもは真っ黒な彼の詩のホームページ。
その最新のページにリンクしていることは察しがついていたのだが、
目の前に現れたのは、モニターから光を放つほどに眩い白。
その明るさの中に、溶けるように淡くあの青白い文字列が並んでいた…
祈り
僕はもう 闘わない 争わない
誰のことも 恨まない 憎まない
神様は 全部分かっていてくださった
僕が疲れてしまったことを
世界が壊れてしまったことを
僕は 必要とされる時が来たんだ
だからもう 悩まない 迷わない
誰のことも 悪く思わない
誰のことも 誰のことも…
僕は見つけたんだ やっと見つけたんだ
生まれてきた意味を 選ばれた意味を
世界中が 幸福で満たされる日が 来ますように
どうか 来ますように
† Closs †
『これは、どういう…』
戸惑い。まるで別人が書いたような詩。
『これ、本当にClossさんが書いたのかしら…』
ピンポーン♪
唖然としている私の耳が突然、玄関のインターホンを捕らえる。
こんな時間に誰だろうと考えるより先に、外で声が叫ぶ。
『遅くにすみませーん! 宅急便でーす!』
急かすような男の声に、急いで玄関のドアを開けると、
見慣れたユニホームが大きな段ボール箱を抱えて立っていた。
『あ、夜分にすみません! こちらにサインお願いします!』
『えっと。。どちらからでし…』
『いやー、さすがに今日は物凄く混んでましてね、時間指定の
順番には回ってるんですが、全然追いつかなくて。ご迷惑を
おかけしてます! ぁ、荷物大きいですから、こちら、中に
入れておきますね!』
心当たりのない荷物を不審に思う私をよそに、サービス満点の笑顔が
伝票を差し出す。
『あの、私。。』
『はい、こちらの丸印のあたりで結構ですよー!』
手渡されたボールペンが、促されるままに名前を走らせる。
『ありがとうございました!』
ガチャン…
急いでいるはずなのに、わざわざゆっくりとドアを閉め、次の瞬間には
足音が慌しく遠ざかってゆく。一切無駄のない完璧なまでの‘運びのプロ’は、
荷物だけでなく、私の素朴な疑問さえも家の中に置き去りにしていった。
『何だろう。って言うか誰からだろう』
家の中に入れられた大きな段ボール箱。送り状を見ると、送り主が
‘佐竹直久’とだけ記入されていた。当然だが全く身に覚えのない名前。
『誰なのかしら、一体』
宛名が自分宛ということ以外は極めて謎で、この上なくよそよそしさを
感じる荷物ではあったが、ひょっとしたら以前に応募した懸賞の
‘空気清浄機’とか、モニターになってレビューすると貰える
‘足裏マッサージ器’が当たったのかもしれない、と良い方に考え直し、
私は意を決して、その‘謎の段ボール箱’を開けてみた…
しかし、そこに入っていた物は‘足裏マッサージ器’でも‘空気清浄機’
でもなく、小さい頃よくプチプチ潰して喜んでいたビニールの
エアクッション材に包まれた、籐製の揺りかごと、一通の手紙だった。
『揺りかご。。。? まぁ、素敵じゃない!』
ラタンというのだろうか、艶やかな薄茶色の籐で丁寧に編み込まれた
楕円形のかごが、揺り椅子の腰下のような丸みを帯びた脚に乗っていて、
容易に取り外しも出来そうな造り。機能的でありながら、曲線たちの
織り成すやわらかいバランスが、見ているだけで心を優しく揺らした。
『それにしても。。佐竹直久って誰かしら。何で私にこれを?』
茶封筒の中から便箋を取り出す。きれいに三つ折されたそれを開くと、
ボールペンで大きめに『メリークリスマス』と書いてあり、続いて
小さな文字で何行か綴ってあった…
『これは。。。!痛っ…』
読み始めたその時、突然、お腹に激痛が走る。
『やだ、まだ早いでしょ。まだ。。うぅ』
耐え切れずその場にうずくまる。
『だめよ。。ちょ、ちょっと待って…
病院まで待ってよぅ…』
苦し紛れに手を掛けた揺りかごから薫る、僅かな木の香。
私は、その有機香に焦る気持ちを落ち着かせながら、
痛みで気が遠くなりそうなのを必死に堪え、覚束無い手で
携帯電話を開いた…
つづく
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