<body> sakura

【Episode ♯1】














  夜(YOZAKURA)-2006-










一件の新着メールが届いていた。

 【明日の午後、また子連れでお邪魔しまーす。
  焼きたてのを楽しみにしてるね♪】

藤本からだった。
いや、藤本は旧姓で、今は島田だけど。
高校時代からのクセで、未だに名前で呼んだことがない。

 『春彦、注文いくつ入ったんだい? 8時で締め切りだろ?』

 『ああ、今の藤本の注文で丁度予定数になったよ』

 『あら、美佐枝ちゃん、ご実家に帰ってきてるのかい?
  お子さん大きくなったろうねぇ』

 『今朝、母さんが配達に行ってる時、店に来たんだよ。
  母さんにもよろしくって言ってた』

 『そうかい。あの子は昔から可愛い子だったねぇ。。あんたも早く
  ああいうお嫁さんもらわないと。。』

 『シャッター閉めてくる』

パソコンの前を離れ、表に出る。ニコニコベーカリー吉井、閉店の時間だ。

 『それじゃぁ、後頼んだわね。遅くなると思うから鍵は持ったわ。
  あんた朝早いんだから、先に寝ててちょうだいね。行って来るわね』

 『飲みすぎんなよ!』

 『はいはい。じゃーねぇ』

売れ残ったパンをトレーに移し、レジの精算を取る。
店仕舞いを済ませ電気を消すと、パソコンのモニターが眩い光りを放った。
デスクのスタンドを点け、パソコンの前に座る。

 『ええと、明日の配達分は7件で43個と。。
  店用のを合わせれば200個で十分だな』

便利な世の中になったもんだ。
約8年間の修行の後、実家に戻り、インターネットによるパンの
デリバリーシステムを導入した。 極小個人商店が生き残るためには、
例え味に自信があっても、待っているだけではやっていけないのが現状だ。
昔ながらのお得意さんを囲い込む意味でも、このデリバリーシステムは
有効な手段だった。 明日の予定を確認すれば、今日も一日の仕事が終わりだ。
今夜は母が、社交ダンス仲間と集まりがあるというので、夜は一人。

 『さてと、メシ喰ったら久々にエロサイトでも漁るとするかぁ』

ガキの頃のように人目を気にしながら、その手の雑誌を買う必要もなくなった。
本当に便利な世の中になったもんだ。色んな意味で。。。



 『はぁ〜あ。。。』

虚しさを含んだ青い煙が渦を巻く。
結局こういう気分になるのは最初から分ってる事。
誰も好き好んで、いい年してエロサイト巡りなんかしてる訳ぢゃない。

 (『あんたも早く、ああいうお嫁さんもらわないと。。』)

 『簡単に言ってくれるよな、まったく。。。』

軽いのに替えたせいで、吸う本数が増えた不味いタバコを揉み消す。

 『お嫁さん。。かぁ。。。』

椅子にもたれ掛り、物思いにふける。
藤本。。相変わらず可愛かったなぁ。。。。。
          ◇
          ◇

 『藤本、悪ぃな、夕飯の時間に呼び出したりして』

 『ううん、大丈夫。もう食べちゃったもん。吉井くんはまだなの?』

 『ああ、うちは商店の家だからな、夕飯は遅いんだよ』

日が暮れ、夜が深まってゆく近所の公園。
満開の桜の木の下で、私服姿の藤本がベンチに座って待っていた。
花びらを払いのけ、隣りに腰を下ろす。

 『お前さ、いつ発つの? もう住む所決まったんだろ?』

 『うん。寮があるから。。 お父さんたちも、その方が安心だって。
  だから、結構ゆっくりなの。4月に入ってからでも十分みたい。
  吉井くんは?』

 『俺は今週末には、もう向こうに行ってなきゃいけないんだ。
  うちの学校、やたら入学式早いみたいでさ。部屋探しもあるから、
  明日にはここを発つよ。何せ全然知らない土地で暮らす訳だから、
  心の準備も必要だしな』

 『吉井くんの学校って随分遠いもんね。。』

 『ああ。交通費だけでも大金だから、なかなか帰って来れなそうだな。
  その点、藤本たちはいいよ。周りに結構たくさん同級生いるし』

 『うん、そうなんだけど。。』

 『それにさ、学部違いだけど島田も一緒だろ? 今まで通り
  楽しくやれるんぢゃん?』

 『うん。。。』

こんな話をしに来たんぢゃない。もっと自分の事を話したいんだ。。
だけど。。。

 『もう。。卒業したら皆で一緒に遊ぶ事もなくなるのかなぁ。。 何だか寂しいよね』

 『何だよ、島田が居れば寂しくなんかないだろ? それに、これから
  新しい環境で、友達だってたくさん出来るぢゃんか。俺なんかさ、
  今からワクワクしちゃってるくらいだぜ? ぁーマジ楽しみだなー!』

違うだろ。。
何言ってんだよ俺。。。

 『吉井くんは強いよね。。 そっかぁ、新しい出会いの季節だもんね。
  寂しくなんかないんだよね。。。』

まだ少し肌寒い夜風が、足元の花びらをサーッとさらってゆく。
ベンチの座板に両手を置き、投げ出した足を小さく組んだ藤本が、
少しの沈黙の後、俯いたままで訊いた。

 『今日はどうして急に。。私を呼び出したの?』

俺は今日、何のために藤本を呼び出したんだろう。。

 『いや、その。。別にさ、何ってことはないんだけど。。』

何かを決心してた訳ぢゃない。
だって、この先どうなるのか分る訳もない。。
ただ。。 ここを発つ前に、お前と話したかった。それだけ。。。

 『そう。。。 私、そろそろ帰るね。遅いと心配されるから。。』

 『う、うん。。ごめんな、急に呼び出して。。』

 『じゃぁ、吉井くん。。元気でね。バイバイ。。』

 『ああ。。藤本も頑張れよ。バイバイ。。。』

胸に何か引っ掛かったまま、見慣れたポニーテールを見送る。
足元の、いつの間にかまた集まった花びらが、去ってゆく後ろ姿を
追いかけるように、小さく舞い上がった。。。
          ◇
          ◇

分岐点。
長い人生の中で、誰もが何度か立たされる重要な地点。

あの時。
もしもオレが、自分の気持ちにちゃんと気付いていたら。。
そして、もしもそれをしっかりと伝えていたら。。。
今頃は全く違う人生を歩んでいたのだろうか。。
未だに色あせない思いは、幸せというカタチに姿を変え、
今ここに、二人の笑顔が存在していたのだろうか。。。。。

あの公園での一時は、俺にとって分岐点の一つではなかったのか。
そんな事さえ気付かなかった俺は、標識を見落とし道に迷った旅人のように、
いつまでも辿り着けないでいるのではないか。。。

 『だめだ、やめよう。アホらしい』

こんな事を考えてみた所で、今更どうなるものでもない。
大体、‘人生の分岐点’なんて発想は結果論ぢゃんか。
その時の自分が進むべくして進んだ道が、運命ってヤツなんだから。。。

ポロロン ポロロン・・・  ポロロン ポロロン・・・
  
ラスト一本の煙草に火をつけた時、パソコンからメール受信を知らせる音がした。
メールボックスを見ると、心当たりのない差出人から、しかも店宛ではなく、
件名:吉井春彦様 とあったので開いてみる。 名指しで来たのだから、
しっかりと目を通そうと思ったのだが、そこに書いてあった内容は、
あまりにも突拍子のないものだった。。。



****************************************

 吉井春彦様

 この度は突然のメール お許しください。
 このメールは、当社独自のシステムにより、個人を特定し送信しております。
 内容について、不要と感じた場合は削除してください。
 尚、当システムは、絶対時空天文学による、時間の瞬間的な歪みを
 検知の上、該当する個人(高度なナビゲーション機能により、エントロピーに
 基づく統計から、該当者の潜在的なニーズを感知した場合のみ告知) に、
 お知らせし・・・・・・

挨拶文と思われる長い文には、専門用語らしき難しい単語が
並び、淡々と綴られていた。 そして。。。

 さて、来る3月24日 19時26分17秒より約2分間、桜の森公園西側、
 トイレ後ろのフェンスに、不可逆性のスパイラルホールが出現します。そこから
 公園内に入りますと、1994年3月24日の同時刻になっているはずです。
 又、スパイラルホール消失から58分後には、相対性原理により、座標の
 ブレが修正され、自動的に現在時刻まで引き戻されますのでご安心ください。
 重ねて申し上げますが、この情報はシステム上で割り出した、
 現在のあなたのニーズによるものです。従って、これによる如何なる事故、
 損害などについても、当社は一切責任を負わないものとします。
                                     
                                     以上

 「人生の岐路を考え、あなたの未来をサポートする」 フレックス・リタイム社

*****************************************

 『何ぢゃコリャ。。。』

意味不明なメールだった。
今まで来た、どの迷惑メールとも違う、とんでもない‘怪文書’だ。
俺の名前だけぢゃなく公園の名前まで把握してるとは。
住居も地域の状況も知っている上での悪ふざけなのか。
一体誰が何のために、こんな手の込んだイタズラを。。

当然の事だが、便利な世の中にあやかっているは、うちの店だけぢゃない。
個人情報の保護だなんて、このインターネットにおいてはナンセンスだ。
最近は迷惑メールも手が込んできているから、もっともらしく名指しで来ても
何ら不思議な事ではないだろう。 この世の中だ。どんな新手の‘騙し’が
用意されているか分らない。 架空請求同様、こんな怪しいコトには
関わらない方が身のためだ。。

俺は、そのメールを迷わずゴミ箱に捨てると、明日に備えて床に就いた。。






 『おじちゃぁぁん!めい、またきたよー!!』

元気のいい声が自動ドアを開けて入ってくる。

 『いらっしゃい。。あら!めいちゃん??こんなに大きくなって!!』

 『おばさん、ご無沙汰してます。。ほら、めい、ご挨拶は?』

 『こんにちわぁー!』

 『はい、こんにちは!偉いわねぇ、ちゃぁんとご挨拶できるのねぇ!
  お利口さん!! 春彦ーっ!美佐枝ちゃんいらしたわよーっ!!』

一服中の煙草を消し、バックルームから表へ出て行く。

 『おじちゃぁぁん!きのうのパンね、すごーくおいしかったのー
  めい、おじちゃんのパン大好きー!』

 『この子がね、明日も吉井くんのニコニコパン食べるんだって
  きかなくて。。』

走り寄って来る低い視線に合わせ、レジの横にしゃがむ。

 『よーし、めいちゃん。おじちゃん今朝早起きして、めいちゃんのために
  おいしいパンいっぱい焼いたからねー! はーい、これはプレゼント!!』

予め用意していた袋を手渡す。

 『わーい!何かな何かな。。。あ!女の子のニコニコパンだ!』

 『めいちゃんのお顔だよー、特別だからね!』

 『めいのお顔? やったぁ!ママー!これ、めいのお顔のパンだってー!!』 

 『わぁ、かわいいパンね。めい、おじちゃんに、ありがとう言いなさい?』

 『おじちゃん、ありがと!』

チュッ♪

ほっぺたに小さな唇の感触。。
可愛い子だな。。 こんなに喜んでくれてる。
作って良かったなぁ。。

 『吉井くん、ありがとう』

 『ああ。。。』

藤本が、いつもの微笑を浮かべる。
変わんないな。。 トレードマークのポニーテールぢゃなくなったけど。。
やっぱ、オレの中で藤本は、いつまでたっても藤本なんだよな。。。

 『美佐枝ちゃん、いつ帰るんだい?』

 『明日、旦那が出張から帰ってくる予定なので、今日のうちに
  帰ろうと思ってます』

 『旦那さん、大手のIT企業だものねぇ。お忙しいでしょうけど
  安泰よ。あんたたち同級生の中じゃ、島田くんは
  役職的に出世頭じゃないかい?大したもんよー』

 『ええ。。まぁ。。。』

母さんと藤本が話してる横で、めいが楽しそうに話しかけてくる。

 『めいね、大きくなったらパン屋さんになるの。それでね、
  うさぎさんとか、お馬さんの形のパンとかね、いっぱい作るの』

 『ふぅん、めいちゃんは将来、パン屋さんになりたいのかぁ。。』

 『うん。めいのママもね、小さい時パン屋さんになりたかったんだって。
  でもね、あきらめたんだって』

 『そっかぁ、めいちゃんのママもパン屋さんに。。。』

藤本が。。パン屋さんに。。。?



 『めい、そろそろ行こう?お婆ちゃんたち待ってるから、ね?』

 『うん!おじちゃんバイバイ! またくるね!!』

 『それじゃぁ、おばさん、失礼します。ぁ、吉井くん、
  色々ありがとね。めいの話し相手にもなってもらっちゃって。。』

 『いや、いいんだ。。ぢゃぁ、気を付けて帰れよ。島田にもよろしくな』

 『うん。吉井くんも頑張ってね』

藤本が帰った後、少しして電話が鳴った。
母さんが受けた所、今日、午前中に配達したお得意さんからで、
注文したパンとは別のが届いていたという内容だったらしい。
急いでパソコン内の注文内容メールを確認する。
注文メールは、お届けが完了し次第、一旦ゴミ箱へと移動している。

 『どうだい春彦。うちの確認が間違ってたのかい?』

 『えーと。。ぁーそうか!追加分のメールの時、注文内容が
  変わってたのに、最初のヤツをそのまま入れたんだ。。』

 『あら。それじゃ、お客さんに申し訳ない事したねぇ』

どうやら、うちのミスだったらしい。

 『ハニークロワッサンなら、まだ店に5個あるから、
  俺、今から配達してくるよ。村上さんちは、すぐそこだもんな』

 『ああ、村上さんねぇ、電話では、これから留守にするから、
  配達は7時以降にしてくれって言ってたわ』

 『そうか。ぢゃぁ、売れる前に取っとかなきゃ。。』

店頭に並べていたハニークロワッサンを袋に詰め込み、
メールでお詫びと、一応配達予定を送信する。 4時からは翌日の配達分の
メール受付が始まるので、ついでに、既に受け取りが完了したメールを
削除しようとゴミ箱へと戻る。 俺は、今回の事があったので、念のため
もう一度全てのメールの確認をしてから、ゴミ箱の中を空にした。。




 『それぢゃ行ってくるよ』

 『はい、気を付けてねぇ』

夕方の会社帰りラッシュをこなし、一段落つくと、村上さんの家に
配達する時間になっていた。6時45分。丁度いい時間だ。
村上さんの家は、踏み切りを越え、公園の向こう側にある。
もう寒い時期でもないので、わざわざ車を出さず歩いて行くことにした。

無事に配達を終え、公園の外周沿いを歩く帰り道。
今年は桜の開花が例年より遅く、公園の木々も
まだ八部咲きという所だろうか。

そう言えば、ここ何年も公園内に入った記憶がない。
近所だから車で通りかかるし、フェンス越しに中を見る事はあっても、
別に用事がある訳もなく素通りだ。 この外周は車では感じないが、
歩きだと結構な距離だった。 子供の頃はよく、広い公園の
外周を歩くのが面倒で、誰かが壊したのであろう、フェンスの金網を
無理に広げた穴から出入りし、ショートカットしていた事もあったが。。。

 『へぇー!? まだ直されてないんだ。。』

ふと、その地点を通りかかると、そこにはまだ当時のまま穴が開いていた。
確かに、西側に位置する公園裏は人目につきにくく、ましてや暗くもなれば、
そこに穴が開いている事など誰も気付かず、子供たちの秘密の抜け穴には
モッテコイではあったが、未だにそのままとは驚いた。

 『久々にくぐってみるか』

大人げないとは思ったが、懐かしさと近道への誘惑から、俺は
腰をかがめ、何十年ぶりかにその穴をくぐった。。。

くぐり抜ける時、ヤケに窮屈な感じがしたが、子供の頃とは
体格も違うのだから違和感があるのも当然だろう。それにしても、
日頃から運動不足のためか、腰をかがめて移動するだけなのに
妙な息苦しさを感じた。

フェンスの中に入ると、公園内は意外にも、外から見た時より
たくさんの桜が花を咲かせているように見えた。いや、この位なら
既に満開と言えるのではないか。。 急に吹いてきた少し肌寒い風に、
足元に散らばる花びらがヒラヒラと転がっていくのを不思議に思いながら
トイレの横を過ぎ、公園の入り口に向かって歩く。 ショートカットが目的とは言え、
さすがに芝生の上を横切る気にはなれず、囲いに沿って、ロータリー状に
造られた遊歩道を回り込んで行くと、木々の間から、入り口正面のベンチに
誰かが座っているのが見えた。 どうせカップルがイチャついてるのだろうと、
少し遠慮気味に近付いていったのだが、園路灯にぼんやりと照らし出された
その二人の姿を見て、俺は思わず木陰に隠れた。

 『な、何だよアレ。。。』

目を疑った。
別にベタベタが行き過ぎて、まぐわっている訳ぢゃない。
今時、そんな事なら驚きもしない。
目を擦って、木陰から恐る恐るもう一度よく見てみる。。

 『ど、どうなってんだ。。。』

見間違いなんかぢゃない。
見間違えるはずがない。
そこに居るのは、俺がよく知っている人物だ。
いや、片方に関して言えば、「知ってる」なんて言葉では済まされない。。

 『まさか。。こんな事が。。。。。』

ベンチに座っている学生らしき二人。
その距離は恋人同士にしては離れすぎていて。。
友達同士にしては少し近いような微妙な距離。
何か話しながら、時々笑ったり、俯いてみたり。。
そう。それは紛れもない、あの日の俺と藤本の姿だった。。。

1994年3月24日 午後7時半頃。
今の今まで何の日だったのか、その日のその時間に
何をしていたのかなんて考えもしなかった。
俺の分岐点。長い人生の中で、恐らく最初に立たされた重要な地点。  
あの意味不明なメールが言っていたのは、この事だったというのか。。

あの時。
もしもオレが、自分の気持ちにちゃんと気付いていたら。。
そして、もしもそれをしっかりと伝えていたら。。。
ずっと隠し通してきた、後悔という埋まる事のない心の穴。
まだその穴が開けられる前の‘あの時’が、そこにある。。
今なら、きっと今なら。。。。。

信じられない事だが、きっとこれはチャンスなのだ。
神様が道に迷っていた俺を、分かれ道の手前まで連れ戻し、
もう一度、進むべき道を選ぶチャンスを与えてくれたのかもしれない。
でも、明らかに年を重ねた自分が、この状況において、
一体どんな手を打てばいいというのか。。。

木陰からベンチの様子を窺いながら、思案に暮れていると、
やがて二人は立ち上がり、手を振って別れようとしていた。

 『まずい。このままぢゃ、また同じ事の繰り返しぢゃんか』

自分に言い聞かせてみた所で、名案が浮かぶ訳でもない。
俺は焦る気持ちのままに、‘当時の俺’が公園から出て行くのを
見届けると、とりあえず去って行った藤本の姿を追う事にした。。

藤本の家は公園から近く、当時まだ古いポストがあった
タバコ屋の角を曲がるとすぐだ。 だから、追いかけたのはいいのだが、
この時間差なら、追いつく前にもう家に入ってしまう事だろう。。 
何れにしても今の俺が、当時の藤本に実際に会う訳にはいかない。

 『そうだ。。』

それなら電話という手段があるではないか。姿は見せずに
声だけで気持ちを伝える。。容姿と違って、変声期の時期でもなければ
声なんてそうそう変わってしまうものぢゃない。

俺は咄嗟にポケットからケータイを出そうとしたが、すぐに時代の
違いに気付くと、タバコ屋に備え付けられてある、
むき出しの公衆電話の受話器を取った。。

 〈はい、藤本でございますが〉

声が似ているが、出たのは藤本の母親だった。

 『あの。。夜分にすいません。吉井ですけど。。』

 〈あら、吉井くん?美佐枝と一緒じゃなかったの?〉

 『ぇ、ぁ、ぃゃ。。さっきまでは一緒だったんですけど。。』

 〈あなたに呼ばれたからって出て行ったんだけど。。
  あの子まだ帰ってないわよ?〉

帰ってない?。。。

 〈どこに行ったのかしらね。。もう遅い時間なのに〉

俺は適当にごまかしながら藤本に代わって言い訳すると、
そそくさと電話を切った。

 『あいつ。。どこに行ったんだろ。。。』

当時から今まで、あの後は真っ直ぐ家に帰ったとばかり思っていたのだが、
どうやら藤本はどこかに寄り道していたらしい。 時計の針が、7時50分を
指していた。 このままでは結局、何も伝えられずに終わってしまう。。
俺は、ポニーテールを捜して、思い当たる場所へと急いだ。。。

その姿を見つけたのは、思ったとおり学校の近くにあるコンビニだった。
今は大手のフランチャイズになってしまったが、当時はまだ地域で
チェーン展開している個人経営の店だった。
公園を基点に、俺の家の方が駅前の商店街区。学校がある南側は
住宅地で、この時間帯にこの辺りで立ち寄れるのは、当時はここ位しか
なかった。 ドアから出てきて、入り口の横にある公衆電話の前に立った
ポニーテールが、今買ってきたのであろう、袋から出したテレフォンカードを
差し入れようとしていた。。

俺は別に得策がある訳もなく、時間的に、もうどうにもならない気がして
半ば諦めかけていたのだが、ただ、あの時の藤本に懐かしさを感じつつ、
吸い寄せられるように、電話のすぐ側にある煙草の自販機まで近付いて行った。。

 『もしもし。。ぁ、メグ?。。。。ぅん。。私。。。』

受話器を持った藤本の横で、あちこちのポケットに手を入れ、
財布を探すふりをしながら、しっかりと聞き耳を立てる。。

 『。。ぅん。。ぅん。。今、コンビニだよ。。。ぇ。。違うよ。。一人だよ。。
  そういう話な訳ないじゃん。。。 ありえないよ。。私なんか。。。』

メグってことは。。
電話の相手は、当時、藤本といつも一緒にいた、友人の
木下恵美だろうか。 一体何の話をしてるんだろう。。

 『ぅん。。だって、今からワクワクしてるって。。寂しくなんかないって。。。
  そう言ってたもん。。 もう。。帰って来ないつもりだょきっと。。。』

苦し紛れの時間稼ぎ。一番最後に、やっと探り当てたように
小銭入れをポケットから取り出す。。

 『ゃだ、全然平気だよ。。ぅん。。。最初から期待なんかしてなかったもん。。
  そういう奴なんだょ分ってるもん。。分ってたもん。。。最初から。。
  分ってたもん。。。』

今度は小銭入れの中から、わざと十円玉ばかりを探し、
ゆっくりと投入して、更に時間を稼ぐ。。

 『だから大丈夫だょ私。。全然悲しくない。。。
  平気だもん。。  平気なんだから。。。。。っ!』

突然途切れた声にチラッと目をやると、藤本は何かを胸に詰まらせ
苦しさを堪えるように、両手で受話器を握りしめていた。 そして。。。

 『もういいんだぁ。。 もう。。いいの。。。。仕方ないよ。。
  もう。。離れちゃうんだもん。。。どうしようもないよ。。。』

自販機で煙草を買うというだけの行為に、不自然でないギリギリの
時間稼ぎにも限界が来た。 俺は藤本の様子が気になりながらも、
仕方なく赤いランプが点いたボタンを押した。。

 ジィー ゴト・・・

少しかがんで、取り出し口から煙草の箱をつかみ出す。
もうこれ以上、立ち聞きする訳にはいかない。
何食わぬ顔で、とりあえずこの場を離れようとした去り際、
後ろ髪を引かれた俺の耳が、微かな声を捕らえた。。

 『私。。。。。。。諦めるよ。。。』

諦める。。?

ゆっくりと歩き出した俺の頭の中でリフレインする涙声。。
私、諦めるよ。。 諦めるよ。。 諦め。。。。。

 (『めいのママもね、小さい時パン屋さんになりたかったんだって。
   でもね、あきらめたんだって』)

昼間に、めいから聞いた言葉が頭を過る。

 『ま、まさか。。』

フラッシュバックするセピア色の記憶。。
そう言えば、小学校の卒業文集に書いてあった気がする。
寄せ書き調にデザインされた【私の将来の夢】のページの隅に、
小さく書かれた丸っこい文字。。

 『藤本。。』

立ち止まる。

全く気付いていなかった訳ぢゃない。
一緒にいるのが当たり前だったあの頃。
誰もが仲のいい幼馴染としか思わなかった学生時代。
そんな中で何かの瞬間、「もしかして。。」そう思った事だってあった。
だけど、近すぎて。。 俺には、それが特別なものだとは思えなかった。。
いつしか俺が持つようになった感情を、藤本も持ってくれてたなんて
思いもしなかった。。。。。

そういう事なのか。。
そうだったのか。。
お前はずっと。。俺の事を。。。

何も知らずに過ごしてきた長い年月。
あの頃はいつも一番近くにいたのに。。
俺は今の今まで、大切なものを失った事すら気付かずにいたんだ。。
大切な人を傷つけた事も知らずにいたんだ。。。。。

やるせなさに身体が震えた。
永遠に続くはずだった俺と藤本の時間が、今この瞬間から
断ち切られようとしている。 お互いに自分の思いを殺して
生きていこうとしている。。 

 『藤本。。』

居ても立ってもいられなかった。
やっぱり諦める訳にはいかない。もう諦めさせる訳にはいかない。
時計の針は8時20分を指していた。今ならまだ間に合う。
もう、あれこれ小細工している時間はないが、こんな状態の俺でも、
思いを伝え、その後を託す事くらい何とでも出来るはず。
そうだ。俺たちの時間を取り戻さなければ。
俺たちの未来を取り戻さなければ。。。。。。。。

 『おじちゃん!』

思い立ち、藤本の所まで戻ろうとした時、不意に小さな声に呼び止められた。
振り返ると、幼い女の子が母親らしき人の手を離れ、駆け寄ってきていた。

 『おちたよ?』

女の子は、落ちていた煙草の箱を拾い上げると、照れ臭そうに
それを差し出した。

 『ぁ、ありがと。。。』

俺が受け取ると、女の子は母親の元に走っていく。

 『のんちゃん、偉いわねぇ。いい子いい子』

戻ってきた我が子の頭を撫でながら微笑む母親。
再び手を繋いで、楽しそうにコンビニへと歩き出す母と子を
ただ呆然と見送っていると、女の子がこちらを振り返り、
小さく手を振った。

 『めい。。ちゃん。。。』

オーバーラップする無邪気な笑顔。。

 (『おじちゃぁぁん!きのうのパンね、すごーくおいしかったのー
   めい、おじちゃんのパン大好きー!』)

もしも俺が、藤本に気持ちを伝えたとしたら。。

 (『めいね、大きくなったらパン屋さんになるの。それでね、
   うさぎさんとか、お馬さんの形のパンとかね、いっぱい作るの』)

あの子の笑顔は。。あの子の未来は。。。

 (『おじちゃんバイバイ! またくるね!!』)

その存在も、生まれてきた形跡さえ残さずに消えてしまうのか。。
しっかりと結びついていた母と子の絆も何もかも。。。

ポニーテールへと向かいかけた足が、前に進むのを拒む。

だめだ。できない。。
そんな、ある意味、完全犯罪的な殺人とも言える
確信犯になんかなれない。。あの子には何の罪もないんだ。
あの子の未来を奪う権利なんて俺にはないんだ。。。

遠くからポニーテールを見つめたまま立ち尽くす俺の横を、
車が通り過ぎる。ボンネットからこぼれ落ちた桜の花びらが、
駐車場のアスファルトをヒラヒラと転がっていった。。
やがて少し湿った風が吹き、花びらが舞い踊ったかと思うと、
周囲の景色が僅かに霞み始めたような気がした。

どうやら時間が来たようだ。
壊れかけた古いテレビのように、目の前の景色に掠れるようなノイズが入る。
ノイズは次第に間隔が短くなり、バチッ、ビシッ、と何かがぶつかり合うような
音を発し始めた。

 『藤本。。藤本。。。。。!』

心の中で、愛しいその名前を必死に叫ぶと、ポニーテールが
微笑むように滲んだ。 急に襲われた立ちくらみのような感覚に、
耐え切れず目を閉じると、肌に当たる風が変わっていくのが分った。

暫らくして、ゆっくりと目を開けると、ポニーテールは公衆電話ごと消え去り、
改装され社名の変わったコンビニが、広く整備された夜の駐車場を
明々と照らしていた。。。。。。






 キーン シュボッ・・・

12年ぶりに座る公園のベンチ。
懐かしい銘柄の煙草に火をつける。

 『フゥ―――。。。』

無意識に、昔に吸っていた洋モクを買っていた。
値上がり前の値段だ。安い上にやっぱり美味い。

 『パッ スゥ・・・・・・ ハフゥ――――。。。』

思いっきり吐き出した真っ白な煙が、漂わず闇に飲み込まれてゆく。。
ついこの前までは、外で吸うと吐く息の白と区別がつかなかったのに、
今はもう冷え込んだと言っても、ほとんど息に色はつかない。
久々の美味い煙草を味わいながら、どっかりと背板にもたれ掛かり、
頭上の桜を見上げると、さっきまで散らすほどに咲き誇っていたのが、
今はまだ、色づき始めたばかりの濃いピンクを保っていた。

 『春なんだなぁ。。』

あれから12年という長い月日が流れた。
その間に色んな事が、色んな物が変わり、時代も変わった。
俺は実家を継ぎ、店も改装したし、藤本は島田と結婚し、
子供も生まれた。。

今日まで俺は、ずっとあの日の事を後悔していた。
いや、本当は今だってまだ、完全に吹っ切れた訳ぢゃない。
それどころか、あの時の藤本の気持ちを知ってしまった今の方が、
むしろ心情的には複雑だ。

でも今、何だか妙に晴れ晴れとした気分だ。
未だに信じられない出来事だったが、もしも、これが
神様の仕業だったとして。突然目の前に現れた‘あの時の場面’は、
決して過去を変えるべく訪れたチャンスなどではなく、新しい一歩を
踏み出させるべく、より明確な実情を顧みるためのものだったのかもしれない。
だって、俺一人の都合で様々な人たちの運命を変えてしまうなんて、
考えてみれば虫のいい話だし、あってはいけない事だと思う。

お互いに平行線を歩き、やがて離れていった俺たちだけど。
あの頃はきっと、どちらも若かったんだと思う。そして、これで良かったんだと思う。
あの時があって今がある。今が幸せなのは、あの時があったから。。
そんなふうに思えるのだ。

 『さてと。すっかり遅くなっちまったな。。』

ベンチから勢いよく立ち上がり、大きく伸びをすると、桜のいい香りがした。
いつもより遅いけど。春は必ずやって来て、桜は今年も
美しく咲き乱れるのだろう。 季節は、そして時間はいつも
穏やかに繰り返しているのだ。

藤本は、あれから自分の意志で新しい幸せの道を切り開き、
しっかりと歩き出していた。 俺も負けてはいられない。
仮にも、一人の女の子にずっと思われていた実績がある男だ。
もういい年だけど、俺だってまだまだ。。。

俺は、八分咲きの夜桜を見上げながら、胸の辺りで小さく拳をつくると、
いつになく軽い足取りで、久し振りの公園をあとにした。
心に、長い冬を追い越してゆく春の足音を感じながら ――――――――――





おわり






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